アラサー女の海外迷走日記

OLやめてアメリカで勉強し直すことに決めた、アラサー女のいろいろ。武士のごとく、後ろには倒れません。

集中力を持続させて勉強することの難しさ

宿題が終わらない。

 

終わらないというか、どこまでやってもきりがないように感じる。悪い意味で。

 

 

 

昔から勉強が嫌いというわけではなく、むしろ乗ってきたら楽しいとすら感じるほうなのですが、勉強に区切りをつけることができなくなった、つまり

 

集中力が著しく低下していると感じます。

 

私は今、3月からのアメリカ留学へ備え、今年の初めから週に一度Academic Writingの特訓を受けています。

 

そこで出される宿題が終わらないんです。

英語で文章を書くことが本当に難しいのです。

 

言いたいことや書きたいことは頭の中にあるのに、そもそもの文章の構成力、日本語で考えている言葉を英語に置き換えて出力していることによる語順の入れ替わり、文法間違いや語彙の乏しさなどが邪魔をしてうまいこと進められないのです。

試験に受かるための勉強ではなく、第二言語を通して自分の主張を伝えるという勉強の難しさ。

 

言い訳理由を挙げたらきりがないのですが、なんといっても一番は集中力の無さだと思うのです。

 

これまでの人生の中で一番勉強したのは、間違いなく大学受験の時。

 

あの頃は今よりも、自分がどんな人間か理解できていなかったし、どうなりたいかもよく分かりませんでした。

 

私は4歳のころから、ピアノを弾くことが好きでした。

 

高校3年生のころ、音楽大学へ進み音楽の道を選択するか、普通の大学を受験するかでとても悩みました。

 

私が出た高校は全員が進学するわけではなかったため、周りには大学の推薦入試や専門学校、就職先がすでに決まっている子も多い中で高校3年生のギリギリまで進路のことで悩んでいたように思います。

 

両親がクリスチャンのため、小さいころから教会に通い、ピアノや声楽、音楽が好きな人、音楽を仕事にしている人が近くにたくさんいました。

 

ピアノの先生は私の両手の甲に10円玉を乗せて落ちないように弾いてみて、というようなちょっと怖くて、でも真剣に教えを説いてくれる先生でした。

 

学校でイベントがあれば必ず伴奏を依頼されたし、ピアノの腕にはそこそこ自信がありました。

 

でも、ブルグミュラー→ソナチネ→インベンション、などといった一般的なヤマハグレードのステップを踏まずにただ好きな曲や向いていそうな曲をひたすら練習するというタイプだったのでもちろんコンテストなんて出るわけもなく。

 

なにより、楽譜が全然読めないという欠点がありました。

 

耳で聴いたら一発で音階がわかるし、だいたいその通りに弾くことはできるのですが。

(こういう人って結構多いような気もします)

 

その時は結局、音楽では食えないと思ったことと、貿易や開発にも興味があったため普通の大学に行ってみたいと思い受験勉強に踏み切る決意をしたわけですが

(あと成績が悪すぎて受験でもしない限り、推薦じゃ聞いたこともないような大学しか行けなかった)

 

たぶんあれだけ必死に勉強できたのは、とにかく試験に落ちたら自分の居場所がなくなってしまうということが怖かったんです。

 

あとこれは完全に自分の性格の問題なのですが、いつも人にはなかなか相談せずにギリギリまで自分の中で悩みぬき、本当の本当に締め切りです、というところまで結論を引っ張るくせがあるために、結局予備校へ行き本気で勉強しようと決意したのも高校3年の夏休みを過ぎたころでした。

 

いつもエンジンがかかるのが遅い。

 

そして、あんなに苦労して受かったのに、人はすぐにその経験を忘れるんですね。

勉強しまくって右手の中指にできたペンだこも、かすかに膨らんでいるかな?程度まで消えかかってしまいました。

 

大学時代にもっと勉強しておけばよかったなんて、今さら後悔したり。

 

その後の就職活動でもまた悩みに悩み、結局はなんとか就職しよう、会社員になろうと思ったわけですが

 

やっとこれから頑張って就職活動しよう!というところで東日本大震災が起きてしまい

 

ちょうど集団面接の真っ最中だった私はリクルートスーツで東京駅から新宿駅まで歩いて友達に迎えにきてもらったり、その後も気になっていた会社が採用取りやめたり

 

そんな大変な思いをして就職活動をした末、内定を出して頂いた会社で約6年勤めましたが、今度は新たな挑戦をするために辞めようとしています。

 

にもかかわらず。

 

つらかった就職活動、大変だった仕事を辞めてまで挑戦しようとしているのに

(しかもアメリカで、しかも学生に戻って)

 

宿題が終わらないとか言っている場合ではないんですよね。

 

勉強の種類が少し違うだけで、受験生だったあの頃よりもっと試されることになるんですよ。

 

Youtubeでガキ使の替え歌なんか、観ている場合ではないんですよ。

(ちなみに一番好きな替え歌は浜ちゃんの皿うどんのやつです)

 

アメリカに行って退路が断たれてから、もっと日本で勉強しておけばよかったなんて、はじめて思っても遅いかもしれないんですよね。

できないことを実感させられて、なによりつらくなるのは自分。

 

いつもみたいにギリギリまで臭い物に蓋をするやり方ではなく、もっとできることを計画的にできるようになりたい。

 

アメリカで、カレッジの授業にちゃんとついて行って、OPT申請して働き口みつけて、できればもう一度ピアノもやりたい。

 

2018年はこれまでの自分の壁を突き破りたいんです。

躓いている場合ではない。

 

がんばれ私!