【思い出】アメリカに来て3週間で家出した話
皆様、ご無沙汰しております。
前回ブログ記事を書いてからおおよそ5か月もの月日が経過し、その間何をしていたのかといいますと、まぁあれ、あの、要は「異文化に触れて」いました。
違う価値観に出会って自分を磨いていました(笑)
・・・・・・・・・
ざつ!!!!!そしてありがち!!!!!
なにこのほんのちょっとの間留学して人生変わった気になっている系みたいなコメント!!!!!
そんなちょっと海外行ったくらいで人間変わらないよ!!!!!
という声があちらこちらから聞こえてきそうですね。
知らない人のためにもう一度簡単に自己紹介させていただくと、私は今年の3月に新卒で入社し6年弱勤めた会社を退職し、留学からのインターンシップに挑戦するべく現在とある社会人留学プログラムへ参加してアメリカの大学に通っている元OLです。
趣味は音楽鑑賞、特技は現金勘定です。
最近はお料理にも目覚めはじめております。
新卒カード・勤続6年というキラキラアイテムを投げ捨て世間の荒波にもまれることにした元OLというふうに解釈して頂ければよろしいかと。
ちなみに退職理由は前職がブラックだったから、なんていうことは全然なく、むしろガッツリお給料頂いていました。ポジティブな退職、略してポジ退です。
ただネガティブな理由を挙げるとすると、部署異動によりルーティンワークが重要とされるポジションへ就いてしまったことと、(できないわけではないが、やりたいかといったらやりたくなかった)あのまま働いていることで将来への展望、見通しが立てられなかったのです。
ポジ退、とかいっておきながら立派にネガティブな理由あるやないかいつってね。
漠然とした将来への不安。
仕事に精と結果を出すバリキャリ男子。
続々と結婚・出産していく女子。
老いゆくであろう両親。
20代後半という、確実にそれぞれのライフステージが変わっていく世代の狭間で私は自分の将来の見通しがまったく立てられずにいました。
で、いろいろ調べたり勉強し始めた結果、今度はアメリカで学生に戻ってみようという結論に達したわけであります。
その辺について詳しく知りたい人はこれを読んでみてもらえると分かりやすいかと思います。
会社やめて海外に行くとか(笑) 留学(笑) インターン(笑)とか、あざ笑う声が聞こえてきそうですね!
しかし個人的には、人生にはいろいろな生き方があってもいいんじゃないかと思っています。
そして始めたこのブログ、すっかり日々の慌しさに追われて放置してしまっておりました。
が、アクセス解析やアナリティクスを見てみるとなぜか全く更新できていないにも関わらずそれなりの方が見に来てくださっていること、また「おいお前ブログ書けよ」という声が方々からするようになってしまったので、今この記事を書いている次第です。
夏休みに入り、少しまとまった時間がようやくではありますが取れるようになってきたので、ここから備忘録・回顧録と称して渡米から約半年間、棚卸しがてらこれまでのことをブログに綴っていけたらと思っております。
ここでタイトルに戻ります!
手始めに「アメリカに来て3週間で家出した話」をお送りしたいと思います。
急に物騒な話で恐縮ですが、実話です。
…さかのぼること今から約7か月前、私はホームステイ先の家族情報を手にうきうきしながらGoogle Mapを見ておりました。
へぇ~こんなところに住んでるのか…
意外と市街地から遠くない?でも郊外ならこんなもんか?
70代の老夫婦、趣味はガーデニングにスポーツ…
ルームメイトは香港から留学しに来ている女の子が一人。
なんだか素敵な感じ!!たーのーしーみー!!!
そしていざアメリカへ旅立ち、到着後のお迎えにて初めて顔合わせをすることに。
しっかりした足取りで、一人のおばあちゃんがやって来ました。
簡単な自己紹介を終え、いざお家へ。
…暗い。
どうやら節電のためリビングの電気は一切つけていないようです。ていうか電気、なかった。天井についてなかった。いや本当になかった。
それから私が使うことになる部屋を教えてもらいました。
…寒い。
でもまだシアトル冬だし!自分のお部屋があるだけありがたいよね!
そこから学校までの行き方や連絡先を交換したりしたように思います。それ以外は何を話したか覚えていません。
話している最中に気が付いたのですが、ふと目をやると家の中の至るところに「Don't use」「Don't touch」と書いてあるテープが貼ってあるんですよ。
ガスコンロ、洗濯機…
さらにトイレを借りようと洗面所に入った瞬間目にしたドライヤーに至っては何かの刑罰のごとく、ガムテープでぐるぐる巻きにして壁にくくり付けてありました。
もしかしたらあれは古くから伝わる、何かの儀式だったのかもしれませんね。
そんなわけあるかよ。
そして生活しているうちに、さらなる気づきが。
私のホストファミリーはフィリピン系の方々だったのですが、私が部屋に入るとタガログ語で話すんですね。
これも最初、トランプでいうアメリカ・ファーストならぬフィリピン・ファースト的な?英語喋りたくないのかな?やっぱドライヤーと同じ儀式かな?聞かれたくない感じだから(ていうかそもそも聞いても分からないんだけど)静かに見守っておこうなどと思っていたのですが、だんだん私が何かを尋ねると
「You eat!」
「Hurry up!」
などと、もはやセンテンスでもなく英単語2つくらいしか出てこなくなってきたので、だんだん私は自分のことを、あれ?犬かな?と思うようになりました。
ホームステイを経験したことがある人は分かると思うのですが、ホームステイって本当に各家庭それぞれルールがあったりなかったり、千差万別なんですね。
ただ彼らも食事を提供する義務があるので、今日はご飯外で食べて帰るね、とか今日は家で食べるね、とか少なくとも最初の頃は最低限のやり取りをするものなんです。
慣れてくるとその辺も曖昧になってきて、やりやすくなってきたりするのですがなんせ到着して1週間ちょっとです。
私ももちろん毎日毎日メールを送るのですが、返信は一切なし。
One directionと英語で言えば一見バンド風で聞こえはいいものの、一方通行の日々にコミュニケーションの定義について考えさせられることしばしば。
まぁ他にもいろいろあったのですが、シャワーは7分までと何度も釘を刺されたり、あなたが来てから部屋の温度かなり上げてるのよとか、トイレットペーパー減るの早いわねと言われたり…
ただ細かい嫌味を言われるくらいではいちいちヘコまないので(むしろそういう芸風の人たちなんだなと受け取るようにしている)あまり考えないようにしよう、そう思っていました。
ちなみにトイレットペーパーについては頻尿なので、ある程度の非は認めます。そこだけは。
周りの学生の話を聞いていても、明らかに自分の居住環境が悪いことには薄々、いやわりとビビッドに気が付いていましたが、他人となにかを比べたところで、不満や愚痴を言っても何の解決にもならないなら言わないほうがマシでしょ、くらいに思っていました。
そして到着して2週間弱が経ったころ、慣れない環境と儀式でいっぱいの空間に体がついていけなかったのか、週末に風邪を引いてしまったのですね。
ていうかシンプルに部屋が寒すぎた。
朝起きると、家の中にだれもいない…
※ちなみに前日から風邪気味なことは伝えてありました
仕方がないので薬を飲むために何か適当に食べようと思ったのですが、そこで私は気が付いたのです。
あ、コンロ使っちゃいけないんだった…。
その辺にあった食べても良さそうなパンをかじって薬を飲み、昼まで寝ます。
ていうか食べても良さそうなパンってなんですか?
ちなみにどこへ出かけたのかメールを送りますがもちろん返事はありません。
でも大丈夫。いつものことだから。
昼過ぎ、再び起きます。
やはり誰もいない…
そしてメールの返信もなし。もはや期待もしなくなってきました。
でも大丈夫、まだ大丈夫。
再び食べても良さそうなパンの続きをかじり、やけ酒ならぬ、やけ薬を煽って寝ます。
全然関係ないけど、薬を煽るって結構やばい響きですね。
でもまだ大丈夫。泣かない。
そして再び起きること夕方。
もう察しの良いみんなは流れ的にわかるよね?
もちろん返事もないし、誰もいないよ☆
さすがにお金を払っているので(しかも親のお金じゃない。自分で稼いだ会社員時代の汗と涙の結晶ね)お客さんに「君みたいな若い女のコはね~」などと因縁つけられて頭に血が上ったときの、総合職でもりもりやってた時代の感覚を思い出しました。
おい君たち。メールもそろそろ、うんとかすんとか言いなさい。
英語で言うなればせめてOhとかAhaとかあるやろ。
警察沙汰にならない程度の、今その場で思いつく限りの嫌がらせを全部してやろうかと思いました。使っちゃいけないDon't touch掃除機にさっきのパンちぎって全部詰めるとかね。
でも、やめました。大人だから。
そして再び寝ること数時間、夜になりようやく家族と感動の対面。
※ちなみにこの時の発熱:38.9℃
半分朦朧としながら,家族が夕食をとっているテーブルへ。
「今日はどこに行ってたの…?私もなにか食べていいものあるかな…?」
と恐る恐る聞いてみると(というか本来恐れる必要はない)
「出かけてたのよ、老老介護で忙しいの。ところで食事は、あなたのプログラムは週末の分は含まれていないから今日はなし。そこにあるカップラーメンをレンジでチンして食べれるでしょう」
…カップラーメンを電子レンジでチン…?
たしかに、週末の食事は料金に含まれていないが各家庭により出してくれることもあるし、そうでないようであればそこは臨機応変に工夫して、などという話は聞いていました。
しかし、工夫しようにもまだ到着して2週間ちょっと、おまけに38.9℃の発熱。
当時住んでいた家の近所は今の家の近所と比べるとあまり治安が良くなかったのもありますが、日本のように夜ふらっと一人で行けるようなコンビニはおろか、スーパーもありません。唯一歩いて行ける近所のおしゃれグローサリーことトレーダージョーズはとっくに閉まってます。
かろうじてあった食欲は失せ、怒りが湧いてきました。ルールとはいえ、明らかな病人の目の前で自分たちだけの食事を摂りますか。あなたがたの神であるイエスキリストは、隣人に対してそのようにしなさいとあなたがたに教えましたか。聖書読んだらどうですか。(ちなみに彼らはカトリック系クリスチャン)
ちなみにルームメイトの女の子は私より高い料金を払っているらしく、その子の分は週末も食事はあるのよと言われました。いらぬ情報。
もっと言うと彼女は自分専用のバストイレを使わせてもらっていました。
分かるけど、分かるけど格差。
「オッケー☆わかった!気分悪いから(いろいろな意味で)また寝るね!グッナイ!」
そう言って部屋へ戻ってからの私は早かった。
まず、朦朧としながらホームステイ先変更についてという題名でエージェントへメール。
同時にホームステイ先が見つからなかった場合のことも考え、ネットでシアトル中の情報サイトにアクセスしてルームメイト募集のページを漁りまくる。
一人暮らしをした場合の大まかなコストも瞬時に計算。やれないことはない。
また幸いなことに、アメリカについて2週間ちょっとですでに現地の友人を得ることができていたので、その時点で出会っていたアメリカ人の知り合い、友人すべてに今自分はこういう状況にあること、引っ越しを検討している旨を相談。
「絶対に負けない。引っ越してやる」
もはやそれだけを原動力に生きる日々。
こうやって言うと、なんかちょっと格好良い感じしますよね。
ただ家出したいだけなのに。
そんな中、とあるコミュニティで知り合ったアメリカ人の女性から、
「とある知り合いのホストファミリーの家で、ちょうど前まで住んでいた生徒が帰国したばかりで部屋が空いている。シアトル市内ではないが、あなたの学校へ通えない距離ではない。彼らはこれまでにたくさんの生徒を受け入れているから心配はいらない。〇〇〇ー〇〇〇〇(そのお家の方の電話番号)をお知らせするわ。きっとあなたの助けになってくれると思う。」
とのメールが来たのです。
ありがたき喜びをかみしめつつ即、返信して電話。
すると
「A new place maybe?」
というタイトルで、今度はそのお家の方が家族構成と住所、連絡先を記載したメールを直接私にくださったのです。
なにこれ。
なにこの、やさしさのかたまり。
今まで大丈夫と思っていたけど大丈夫じゃない。泣く。
こちらもすぐに返信、電話して今すぐにでも引っ越したい旨を伝えると、なんとその前に家族を紹介&部屋を見せるのでディナーへ招待してくださるとのこと。
ありがたすぎて震える。(あと部屋が寒かったから。何度も言う、寒かった。)
すぐに日取りを決め、実行。
いざお会いしてみたらさらに素敵な家族すぎてまた震える。
引っ越し日時を決める。エージェントは通さず、すべて自分で契約。
そして、今の家族に対して出ていく旨を伝えました。ここ最大の難関ね。
私がこれまでに感じていたこと、あなたたちの文化や生活スタイルを尊重したいけれどコミュニケーションが取れていないから難しいということ(ちなみにこれは私の英語力云々という問題ではなくメールの返信がないこと、会話がほぼ英単語ばかりという意味)、週末食事が出せないということであればDon't touch解禁して自炊をさせてもらいたいということ…
「今までうちに来た生徒たち、〇〇や〇〇はみーんなうちに来てよかった!って言っていたわよ!こんなにあなたを思っているのに、あなたは何が不満なの!?」
「うるせー!〇〇やら〇〇やらは知らんがな!!だいたいカップラーメンをチンするってなんやねん!!新しいな!!!」
…言いたいことをすべて話し合った結果、バチボコの喧嘩に発展しました。
70代の老夫婦相手に何してんねんと思われそうですが、決して安くないお金払ってますからね。収入が途絶えている今、こっちも必死です。
しかしこの後事態は予想外にも、引き留められるという方向へ。
収拾がつかなくなってしまった状況に、私は方向転換を図りました。
そうです。泣き落とし。
「私にも至らないところがあると思うけど、私なりにあなたたちのことを理解したかったの…でももう無理なの…新しいお家へ引っ越そうと思うの…」
悲し気にそう伝える私に、ホストマザーは言いました。
「大丈夫、分かったわ。あなたはホームシックになっているだけだから。」
いや待って。
ホームシックて。
ちがうちがう、ちがうよ。
マザー、そうじゃないって。
そう言いつつマザーはYoutubeでフィリピンの有名な歌手のバラードを聴かせてくれました。
タガログ語だから全然わかんないや。
でもなんか、気持ちはありがとう。
ちょっと疲れてしまったので、最終的にはホームシックにやられて引っ越したってことでもういいや、と思いながら話をまとめて次の週末には引っ越したのでした。
ちなみにこれもありがたい話なのですが、いろいろとヘルプを求めたかいもあってアメリカ人の友人が引っ越しを手伝ってくれました。
到着したばかりだったので荷物もさほどなかったのですが、基本的にアメリカでは引っ越し業者というものはほとんど存在せず、自分たちでやるスタイルが主流のようで、何人もの友人が
「手伝おうか?」「なにかできることはある?」
と声をかけてくれました。
迎えにきてくれた友人の車に荷物を積み込み、いよいよさようなら、というところで最後くらい…と思いマザーへハグしようとしたら拒否されました。
どんだけー。
唯一、ルームメイトの香港からの留学生の女の子とのお別れだけが残念でした。
彼女は通っている学校で日本語のクラスも取っており、初めて会った時、つたない日本語ではじめましてと言ってくれました。
自称オタクなので部屋にこもっていることがほとんどだったのですが、とっても良い子でした。ハグして別れました。
それ以外は特に思い残すことはありません。
…ここまで長くなりましたがまとめると以下の通りです。
- ホームステイにはいろいろある
- 何かが違うと思ってもひとまず様子を見よう
- それでも違うと思ったら即行動
- 助けがほしいときは周りに言う
- しかし自分でできる限りのことは全部自分でやる、言う
- 家出する際は円満に
この話、結構たくさんの方から聞かれることが多くて、そのたびにいちから説明するのが面倒くさくて「喧嘩して家出した」と言っていましたが、今改めて振り返ると本当にその通りでしたね。
母が日本から送ってくれた荷物の入った段ボールをそのまま引っ越しに転用するとは、夢にも思いませんでした。
みなさんも家出する際は念入りな準備を!
この次は「母が日本から送ってくれた荷物をアメリカの郵便局、USPSに紛失されて郵便局員とガチバトルした話」をお送りしたいと思います。
喧嘩ばっかりしているのではと思われそうですが、心は至って穏やかですのでご安心を!
おわりー!