アラサー女の海外迷走日記

OLやめてアメリカで勉強し直すことに決めた、アラサー女のいろいろ。武士のごとく、後ろには倒れません。

アメリカに行ったら20年来の親友を失った話

 

基本的にこのブログでは、日本の大学を卒業して日本で働いてきた私が、仕事を辞めて海外(アメリカ)へ行ってみて、そこで自分自身の身に起きた笑える話やピンチが訪れた時にどのようにして乗り越えるのかといったことを中心に、備忘録のような形で記事を書いてきました。

なので、友人の話や込み入った話をすることは避けてきました。リアルでの私のことを知ったうえでこのブログを読んでくれている人も多数いるからです。

これまではそうして謎に自分自身への遠慮や忖度(?)をしてきましたが、遠慮も忖度も本来他人にするものであること、これは私のブログなので今日は書きたいことを以前にもまして、自由に書きます。

 

 

私には小学校一年生の頃からの付き合いの親友がいました。

 

彼女(以下A)とは当時住んでいた家が近かったため、小学校、中学校までを同じ学校で過ごしました。同じクラスになったことは小学校と中学校合わせて2~3回ほどしかなかったと記憶していますが、15歳になる頃に私が引っ越して違う町に住むようになっても、中学校を卒業した後も付き合いは続き、一緒に買い物をしたり美味しいご飯を食べに行ったり、大きくなってからは旅行することもありました。

小さい頃からの付き合いなので、お互いの両親や家族のことも知っていて、彼女は親友であると同時に幼馴染でした。

 

私が昨年、日本でしていた仕事を辞めてアメリカに行くと決めた時、Aは

「寂しいけどあなたはそうやって頑張りたい人だからね、応援する」

というようなことを言ってくれ、出発の日には空港まで見送りにきてくれました。

 

私がアメリカに行ってからも頻繁に連絡を取り合っていた私たち。2~3か月に一回電話をしたり、Aが日本からの差し入れを送ってくれたこともありました。笑いのツボや人に対する感情が似ていて、近況報告などのたわいのない話から深刻な悩みまで、文字通り昼夜を問わず何から何まで話せる仲。

 

Aに話せないことはほとんど何もありませんでした。Aにとっても、私自身がそういう存在であるということを認識していたので、おばあちゃんになってもずっと付き合っていきたいと、そう思っていましたし、そうなっていくものだと思っていました。

 

先日、私がとある事情によりアメリカから日本に一時帰国することになりました。

もともと、私が今持っているビザに付随する就労資格が切れるまで日本に帰るつもりはなかったのですが、じつは半年ほど前から体調が優れないことが度々あり、医療費が高く保障制度の整っていないアメリカで外国人という立場では詳細を知るにも限界があったため、メンテナンスのために2週間弱ほどいったん帰ることにしたのです(それについてはまた改めて書けたらと思いますが今、私は元気ですのでご安心を)

 

その時も、日本に帰ることを家族の次に伝えたのがAでした。Aはとても喜んでくれて

「迎えには行けないけど私が一時帰国してアメリカに戻る際にはまた空港に見送りに行くから」

とも言ってくれました。

家族以外の人ではAに一番最初に会うと決めていたので、帰る前から日本に帰ったらあれをしよう、ここに行こうと一緒に予定を立て、1年と数か月ぶりの再会を楽しみにしながら帰国しました。

 

そして日本に帰ってきてからAと再会した私は、久しぶりに会っても変わらず話ができるな~なんてうれしく感じながら、2日間かけて一緒に出掛けました。

 

でもAは、そうじゃなかったみたいです。

 

再会から何日か経った後に、Aから

「やっぱり仕事で見送りに行けそうにない」

と言われました。

別に無理して来なくても大丈夫だよと伝えてあったのでそれ自体はなんとも思わないのですが、Aの話で、今の仕事は残業もさほどなく都合がつかないほど忙しいということもあまりないと聞かされていたのと、その口ぶりからなんとなく避けられているように感じました。

 

が、そういうときもあるのかなと思いました。そう思うようにしました。

 

さらに数日後、私はがん検診を受けました。

 

そこで、がんなどでは全くないのですが、20~30代の女性に起こるという、とある疾患を抱えていることが分かりました。

それ自体は別に同情されるようなことでも緊急事態でもなく、むしろ不調の原因がわかってよかったのですが、ただ、働いて貯めたお金でアメリカに行って、勉強して、働いて、自分なりに精一杯の力を振り絞って掴んだチャンスなのに、時間は限られているのに、すぐにまたアメリカに戻れないかもしれない。

とてもショックを受けた私は自分の将来に半ば絶望してしまいました(今はアメリカに戻るめども立っています、私は大丈夫です)

 

そしてAと話がしたいと思った私は、Aを食事に誘いました。

 

が、またしても「仕事で無理そうだ」と断られました。

 

そういえば再会した際にAは

「日本にいる間にもう一回くらい会いたいな」

と言ってくれていましたが、同時に

「会わなければよかった、またしばらく会えないし」

というようなこともポツリと言っていました。それを聞き逃さなかった私は、これは何か考えていることがあって、私と会う気が進まないんだなと思いました。

 

会って話がしたかったのですが無理そうだったので、LINEのメッセージでその日病院で言われたことや、できれば会いたいということを伝えました。

が「落ち込むのはわかるけど治療法はあるんだし、しっかり向き合って。あと、このタイミングで言うことじゃないけど仕事で会えないっていうのは嘘だから」

 

と言われました。

 

Aが嘘をついてまで私に会いたくないんだろうということは感づいていたので、嘘をついているのはわかっていたと伝えましたが、Aのあまりにぶっきらぼうな物の言い方に、普段人に対して怒ることのない私もカチンと来てしまいました。

本人も言っていましたが本当にこのタイミングで言ってくることじゃないだろう、言いたいことがあるなら溜め込まないでその都度はっきり言えばいいのに、そう思った私は、よせばいいのにがっつりと反論するメッセージを送り返してしまったんですね(よせばいいのにと書きましたがやっぱり思っていることを言ってよかったと思っている、今では)

 

そこからは、ザ・口論。

 

メッセージで口論というのもなんだか日本語がおかしいような気がしますが、Aから言われたことをざっくりまとめると

  • そっちがアメリカで楽しくやっている間こっちは聞き手に回っていた
  • 私にもいろいろある、かける言葉を探すので精一杯だった
  • 帰ってきてから一緒にいてもイラつくことが多かった
  • 一緒にいるのに疲れた

 

それに対して私も

  • あの時、本当はどうだったこうだったとか後出しで言うな
  • 自分の感情を好きなタイミングでぶちまけて他人を傷つけている
  • そりゃ生きてればお互いいろいろあるだろう
  • 子供じゃないんだから、もっと落ち着いて話ができると思った

 

などというやり取りを重ね、最終的に

「もう話すことはない、さようなら」

とLINEもInstagramもブロックされてしまいました。

 

あっけない。

20年来の友人と顔を合わせることもなく、声を聞くこともなく、アプリ越しに縁が切れた瞬間。所要時間、延べ1時間半。

 

もともと強めだったメンタルが海外生活によりさらに鍛えられたのか、しばらく泣くことがなく、最後に泣いたのはおそらくもう何か月も前に飛行機の中でボヘミアンラプソディーを観た時というレベルの私もさすがに落ち込んで、なぜこんなことになってしまったのだろうと自分を責めて泣きました。

関係ないけど人って泣きすぎると鼻が内出血して、鼻の穴の周りがドラゴンボールのフリーザ様の頭の部分みたいな、どす黒い青紫色に変化するんですよ。

人間の体って面白いですよね。

 

 

で、一晩ほど泣きじゃくって、数日間落ち込んで、私が出した結論は

 

 

 

方ない

 

 

 

です。

 

 

え、それだけかよと思ったあなた。

 

そうですよ。

 

仕方ないんです。お互いに思いやりをなくした結果がこれ。

 

縁って切れるときは切れるし、なくなるときはなくなるんですよ。

男も女もそうでない人も、本当に。

 

たしかに私はAに何でも包み隠さず話してきました。しかしそれも今思えば、自分のタイミングで好き勝手話していたともいえます。

言い訳させてもらうとAから「時差とかも気にせずいつでも連絡して」と言ってもらっていたのを真に受けてしまっていたんですね。なのでそれについては本当に申し訳ないことをしたなと思います。

 

体のこともあって一時的に落ち込みすぎた私はやさぐれて、無駄に夜の街を一人でさまよったりもしました。渋谷駅のJRから井の頭線に乗り換えるときに通る連絡通路の、あのスクランブル交差点が上から見える場所で外国人観光客に混じってぼーっと突っ立ったり、加藤ミリヤの「19 memories」を聴きながらいやいやPVじゃないんだから、ミリヤさん聴く精神状態ってわりとよっぽどだし(わかる人にはわかる)というかこの曲がリアルで流行った時ってもう10年前じゃんとか別の意味で無駄に落ち込んだりもしました。

 

今考えても本当に無駄。なにその時間、はやく帰りなよ。無駄でしかない。

 

アメリカで1年と数か月生活しているうちに

「良いものは良い、良いと思ったら褒める、賛同できない時はI don't think so」

などという良くも悪くも表裏や社交辞令のない個性万歳な文化に触れて、図らずも自分もそういう風になってしまって、もしかしたら久々に話をする相手に

「アメリカにかぶれやがって、いちいちうるせえ」

と感じさせていたのではと不安にすら思い、Aとは別の、親友と呼べる友人数名に

「私って変わったかな?いちいちアメリカはこうで~日本はどうで~とか口に出したりしてた?面倒臭いやつみたいになってる…?」

と非常にバカっぽい質問を繰り出したりもしました。

 

しかし

「いや全然変わってない」

「慣れ親しんだ環境を離れて生活しているわけだからしんどい思いはしているだろうしパワーアップはしていると思ったけど、基本的には変わってないから安心しろ」

「自然に帰ってきて自然にまた行くから寂しいけど安心する」

などという、とても心強くありがたいお言葉も頂き、元来の切り替えの早さもあって私は回復しました。

 

というか、自分でも変わりたいけど変われない部分もあるくらいなんですよね。

 

でもAにとっては、同じ町で育ってきた私が遠く離れた違う場所で生活するようになり、言わなくても察してもらえる文化の国から言わないと何もわかってもらえない文化の国に行った結果、じわじわと共感できないことが増え、そしてすごく気遣いのできない人間になって帰ってきたように感じたのかもしれません。

 

もしそうだったとしたら、なんだか悪いことをしたなと思うと同時に、開き直るわけではないけれども仕方ないなと思うんです。

 

このブログでも何度か書いていますが、私は人生は選択の連続だと思っています。

 

今日はどんな服を着よう、何を食べてどこに行こう、そんな日常の些細なことから、どんな仕事をして、誰と付き合って、どこに家を買うといった決断に近いものまで、人間は自分で決めたことに基づいて生きていると思います。

 

なので終わっているスラム街で産み落とされて人生超絶ハードモードでスタート地点に立ったり、当たり屋的な事故に巻き込まれない限り、基本的には人間関係における嬉しいことやイラっとすることって結構無意識にでも自分で選んだことの延長線上に成り立っていることが多いと思うんです。

じゃあ予期せぬ死別や望まない部署異動なんかはどうなるんだって話なんですけど、まぁとにかく、そういう運命(?)的なことも含めて受け入れて、みんな生きていっていると思うんですよ。

 

でも何でもひとりで乗り越えられたり解決できるわけじゃないから、だいたいはそういうのをみんな家族とか親友、友達、恋人、同僚など周りの人と共有したり時には受け流したりしつつ、各々ストレスの解消法を確立したりしながら状況を打破して、乗り越えているんじゃないかなと思います。

 

私にとってAはそうやって何でも共有していきたい大事な親友のひとりだったわけですが、一方でどんな関係であろうと、どちらか片方だけがそう思っていたら良好な関係は継続できないですよね。Aと私に限らず、どちらかだけがそう思っていても無理。1000%むり。

お互いにつながっていたいと思っていない限り、関係は切れます。

まして世はSNS大航海時代、つながるのも簡単だけど切るのも簡単。

この人とはもういいやって思ったらブロックしちゃえば、それで終わりです。

 

私はAとは長い付き合いだったので、Aのご両親の名前も、実家の住所や電話番号も知っています。いざとなれば実家に突撃したり手紙を書くこともできます。

そんなことしたら嫌がらせ以外の何物でもないのでやりませんが。

でもSNSでしかつながりがなくて、そこが機能しなくなったらそれで終わり、他の連絡手段が分からないから下手したらこの人とは一生会わないかもってパターンになっている付き合いって実は結構あるんじゃないかと思います。

 

そもそも「親友」って何なんだろうと思ったので、ひまな私は思いつく限りおそらく日本で一番有名な辞書である、広辞苑で言葉の定義を調べました。

 

【親友】…信頼できる親しい友。仲のよい友人。

 

ちなみに友達は以下の通りです。

 

【友達】…親しく交わっている人。とも。友人。朋友。元来複数にいうが、現在は一人の場合にも用いる。

 

うーん、違いがよくわからない。

 

さらに【友人】を調べてみたところ、なんと「ともだち」と出てきてしまったため、私は親友と友達と友人の無限ループ地獄に陥ってしまいました。

友とはいったいなんだ。混乱。

 

… という話を友人にしたところ

「日本語で考えると曖昧だけど、英語にすると分かりやすいよね」

とのお言葉。たしかに。

英語で親友はBest friend、友達は Friends。

英語で友達は紛れもなく複数形だから、親友の方がより唯一無二感、数ある友人の中でも特別感があるという結論に至りました。

 

でもその時、気づいたんですよ。

広辞苑的に言えば私ってわりと、結構特別な親友って呼べる友達がいるなって。

もちろん友達がたくさんいたところで連絡を取る、会う頻度や付き合い方はいろいろだし誰もAの代わりになる人なんていないんですけど。

 

もしかしたらその友達の中には、私が勝手に一人で一方通行的に友達だと思っていて、そう思っていることを伝えた暁には

「おいおい何言っているんだよ、1000%むりだよ」

という悲しい結末になる方もいるかもしれませんが、改めて考えてもそんなに、というかいないんじゃないかなと思います。もしそういう一方通行的な友情を育んできたら、今の時点ですでに、あるいはとっくの昔に関係が破綻していると思うので。

今いる友達は、こちらが思うようにあちらも信頼してくれていると思いたい。

逆に向こうは私のこと友達だと思っていて、でも私は知人くらいにしか思っていないっていうパターンもあるんでしょうか。真面目に考えすぎてよく分からなくなってきました。

 

以前、何かの記事で

「女性は年を重ねるにつれ、特に20代後半からライフステージが変わっていくにつれて友人とそれまでと同じように付き合うことは困難になってゆく」

という内容を目にしたことがあります。

なぜかというと、20代後半以降は一般的に結婚や出産、育児がどうしても絡んでくる年代で、そうなったときに女性が担う役割が多いから。

 

別の友人(前の会社の後輩)と先日会った時に

「友達や同期が結婚したりすることで自分はどうなんだと聞かれることも多い、自分の周りでも婚活始めたらピリピリしちゃった子もいる」

と彼女が話していたのを思い出しました。

私の周りでも、未婚なら親や会社の人から「どうするんだ」とか「身を固めろ」とか、はたまた既婚なら「子どもはどうするんだ、まだ欲しくないのか」とか、そうやって身内や他人からのプレッシャーにさらされた、もしくは現在進行形でさらされているというような話もよく聞きます。

 

どうするもこうするも、どうしようもないことだってあります。

人には目に見えない悩みや苦労があるんだから、結婚していようがしていまいが子どもがいようがいまいが、それなりに頑張って生きているだけでもいいじゃない、外野がごちゃごちゃ言うことじゃないだろうになんて思います。心配とおせっかいを履き違えて失礼になっている人、たまにいますからね。

 

このブログは、20~30代の方が一番読んでくれています。

日本、むしろ世界の未来を支える世代がそんな生きづらさを抱えながら日々頑張っているんですよ。だから悩める人に「こんな生き方もあってもいいんじゃないか」と思ってもらえたらというのと、一時的にではあるけれど日本を離れ、違った環境で頑張ってみようと思った自分が初心を忘れないようにという思いも込めてこのブログを始めた私。(半分くらいは本当だけど半分は今考えた。すみません)

 

日本の義務教育を受けていたら、受験や就活などはほとんど同時期に訪れますよね。

なのにそれまで揃っていた人生のステージやぶつかる壁が、20代後半から人によってそれぞれ全く異なるものになっていくんですよね。

(勘違いしないで欲しいですが、日本のそういうところが良くないという話ではない。たしかにアメリカには年齢を問わず好きなことをやっている人がたくさんいて、そういう人に対してどうなんだ、どうするんだと人がごちゃごちゃ言ってくることもないという意味では気楽だしチャンスもたくさん転がっている。が、それと同じくらいリスクも転がりまくっている)

 

特に女性は難しいことがたくさんあると思います。

社会に出て数年したら結婚し仕事を休み、もしくは辞めて家族のために頑張る人もいれば、バリバリ仕事して独身を謳歌しお金も時間も好きに使う人、結婚を機に(辞めたくても休みたくなくても)旦那の仕事に合わせて退職や引っ越しをする人、若くして2~3人出産する人もいれば不妊治療に取り組む人などなど。

 

男性も多分、お腹が出始めたりハゲが進行しはじめたり病気になったり、お金や時間の使い道が変わっていったりするかとは思うんですけど、たとえ結婚して子どもができたとしても自分のお腹が大きくなるわけではないから、少なくとも生まれる前に仕事を離れたりすることはよほどの事情がない限り、ほとんどないのではと思います。

子ども中心の生活と仕事中心の生活じゃ軸が違うんだから、見える世界は違って当然です。

 

でもじゃあ、同じ女性でもバリバリ働いている同士、あるいは子どもを持つ者同士なら気が合うのかというとそういう単純な話でもない。

 

人間は心のどこかで共感したい、承認されたい生き物だと思うので、自分にないものを持っている人をうらやましく思ったりしてしまうけれど、そういう負の感情を超えて付き合っていけるのがいわゆる親友、友達だと思うんです。
だけど同時にどんどん外的要因が変わっていく、それが20代後半からざざざっと押し寄せる。

 

私自身は結婚も出産もしていないけれど、仲良くしている友達の中には既婚子持ちという子ももちろんいます。そうやって子どものためにお母さんを頑張っている友達も、私と同じように独身で仕事に邁進する友達も本当に尊敬します。

Aとも、場所は違ってもお互いに頑張って働いていて、これからどちらかが結婚してもしなくても子どもが生まれても生まれなくても、一生独身でも、離婚しても、歳を重ねても別に何も変わらないなんて思っていました。結果的には仲違いしてしまいましたが。

 

その人の住む場所や仕事といった物理的な環境が変わっても、その人の価値観だったり根本的な部分は変わらないと私は思うから、本当に友達ならその人が頑張っていたり前に進んでいる様子を見て素直に尊敬したいと思ってこれまで生きてきました。

私は日本を離れている間、新しい環境に馴染もう、自分で決めたことだから精一杯頑張ろうと自分で自分に言い聞かせながら、見ようによってはストイックすぎるくらいに日々を過ごしていました。

それを新しい環境で成長したというのか、新しい環境で変わってしまったというのかは捉え方によりますが、自分の努力を否定されたくなかった私はAに言い返してしまったんだと思います。

親友だから、話せば分かりあえると思っていました。綺麗事だったかもしれませんが。

 

何が言いたいかというと、ようは、どんな環境にいようが、人は合う人とは合うしお互いに努力をしていけるけれど、合わないときは合わなくなってしまうんです。

 

雑なまとめ方だし悲しいけど本当にそうなんです。

20年付き合った友達だろうが10年付き合った彼氏だろうがダメな時はダメなんです。

逆に、知り合って間もない人と一気に、ずっと付き合える仲になることもあります。

事実、私はこの1年と数か月のアメリカ生活の中で、日本人でもそれ以外でも、一生付き合っていきたいと思える人に出会うことができました。それも1人や2人ではなく、です(もちろん絶対に仲良くなれないと思う出会いもありましたが。もしかしたらそっちの方が多いかもしれない。笑)

 

私はこれまで人づき合いで感情的になることがあまりなくて、Aからも

「たぶん他人に興味がないんだろうね」

と言われたこともありました。自分でもそうなのかもと思うところはあります。

でもどちらかと言えば他人に興味がないというより、期待しないようにして生きているつもりでした。

なのでこれまでSNSで誰かをブロックしたり、喧嘩別れのような形で関係が終わることはほとんど無いといっていいくらい皆無だったのですが、今回の出来事を受けて、私はAに対して無意識に、いろいろと期待をしてしまっていたのかもしれないと思いました。

そういえばAも、私に対して見返りを求めていたかもというようなことを言っていた気がします。

 

人間はそうやって勝手に自分の中で人に期待をしたり、無意識に自分がしていることへの見返りを求めてしまったりして、それが思っていたのと違う結果で返ってきたときに怒ったり悲しんだり取り乱してしまうのかもしれません。

 

自分がした選択や言動で誰かと揉めたり疎遠になることがこの先もあるかもしれないけれど、でも本当につながっているべき相手なら、一度すれ違ったり合わなくなってしまうことがあったとしても、また何かしらの形で再会したり、縁があるのではないかと思いたいです。

そしてあってほしくないけれど、もしこの次にまた同じような出来事が起きてしまったとして、何か思うことがあってもなるべく相手を傷つけない言い方をしたいです。

 

(スピリチュアルな話をするつもりはさらさらありません。落ち込みすぎてやばい奴になっているわけではないのでご安心ください。怪しいセミナーにもいかないし、水素水も買いません。絶対に)

 

…念押しをしていることによって逆に怪しさが増しているような気がする。まあいいや。

 

それからAという大切な親友は失ってしまいましたが、会社を辞めてアメリカで勉強する、働いてみるという自分の決断については1ミリも後悔していません。

アメリカ行ったら親友失ったというタイトルとは矛盾するような気もしますが、私があのまま日本にいればAと揉めなかったのかと言えばそれは分かりませんし、勇気を出して新しい場所に行ってみたことで得られたことがたくさんありました。

 

逆に日本で私を支えてくれている人のありがたみにも、改めて気が付くことができました。

さっきも少し触れましたが、もちろん日本にもアメリカにもいいところも悪いところもあって、どちらか一方を上げたり下げたりするつもりもありません。

アメリカに住んでいたとか言うとまたアメリカかぶれして帰ってくんのか、とか思われるかもしれませんが、ずっと日本で日本の教育システムで育ってきた日本人の私なので、多少フットワークが軽くなったり生活のリズムが変わったりすることはあったとしても人としての根幹はたぶん変えられません。

影響は受けることがあっても、少し海外行ったくらいで価値観がまるっと変わって別人になれるほど人生は甘くないと思います。

 

私の挑戦はまだ終わっていないから全部を振り返ることはできないけれど、私は自分がしたことや言ったことについて、基本的には後悔しません。

反省はしますが。

 

悲しい出来事があったり報われなかったりすると、コーラとポテチをむさぼりながらただひたすら横になってスマホ片手に引きこもりたい、むしろ何もしたくないとすら思うことってありますよね。

でも、起きてしまったことについて、いつまでも下を向いていても何かが解決するわけではないんですね。嫌なことがあった次の日、朝起きたら全部なかったことになっていたらいいな~なんて思うこともあるけど、残念ながらそういうラッキーに遭遇したことはないから、この先も多分ない。

 

自分の努力でどうにもならない出来事が起きた時、どうやってそれを受け止めて処理して、精神的にリカバリーするのか、そういうことは一応これまでの経験で学んできたつもりです。

 

今のところ今が一番若いし、ここからどうするのかが大事。

 

そう思い、スクランブル交差点を横目に(無駄に、本当に無駄に)夜の街を徘徊するのをやめ、まだまだこれからなんだから前を向いて、ストイックすぎて体を壊さない程度にゆるく頑張ろうと思いました。

 

最後に。

 

Aはいつも私のブログを楽しみにしてくれていたので、今回のこの記事ももしかしたら読んでいるかもしれません。いや、ムカつきすぎて私に失望しすぎて目も通さないかもしれない。

もし読んでくれていたら、今回のこと、名前は伏せているにせよ勝手に記事にしてごめんなさい。これは私のブログだから完全に自己満足だし、出来てしまった溝がこの記事によってさらに深まるかもしれないと思ったけれど、どうしても思うことがあったので書いています。

最後に私が送ったLINEは未読になっているので多分ブロックされたままだと思うし、これからも私と話す必要がないと思うならそれでも構わないけれど、私はこれまでの人生のあらゆる場面にAがいてくれたことで、とっても励まされてきました。

それほど大事な友達だと思っていたのに、傷つけてしまって、嫌な思いをさせてしまって本当にごめんなさい。

 

これから先、もしかしたらもう二度と会うことはないかもしれないけれど、Aが元気で幸せでいてくれることを祈っています。

 

おわり!