【会社を退職した理由】28歳女、会社を辞めます。
こんばんは。
寒さ厳しい今日この頃、皆様におかれましては益々充実した日々をお過ごしのことかと存じます。
私はというと、会社を退職しました。
とはいえただ今有給休暇消化中のため、厳密にはまだ会社員なのですが。
とうとうアメリカ行きの日がやってきてしまいました。
アメリカ行き云々については、これまでの記事を読んでもらえればだいたい伝わるかとも思います。
が、退職や人生の方向性を変えることについて、思っていた以上にいろいろな方に聞かれたりお話する機会があったこと、もう一度改めて時間をかけていろいろなことを整理したく、この記事を書きました。
今流行りの退職エントリー?そんなプライベートな話をネットでするなんて自己愛の塊じゃん、とか思っていましたが、別にここで誰かに挨拶するわけでもないし、揉めて辞めるわけではないから後ろめたいことは何もないので。
私が勤めていた会社はいわゆるブラック企業ではなく、かなりホワイト企業の部類に入るものだったと言えます。
たしかに会社に対する愚痴や不満を抱えている人も多くいましたが、それは人間が集まって働く環境であればどこであろうと大なり小なりある話だろうと思うので。
なので
「ブラック企業辞めてやったwww」とか
「好きなこと仕事にして生きていく(キリッ)」とか
そういった類のお話を期待している方のご期待には沿えそうにありません。
ディスるつもりもない、あくまでも前向きな退職です。
当初は3月中旬の出発ギリギリまで働こうと考えていたのですが、手続きやら今後のことを考えると心身ともに仕事との両立が難しいなと感じていたこと、辞めてアメリカに行くと決めたもののスタートダッシュが出遅れぎみのギリギリ
(何をするにも期限ギリギリまで引きのばし、追い詰められたときの爆発力を自分のデフォルトに設定しているため結果なんとかなればいいと思っている、よくいるタイプのダメな人間)
だったため、ここからは焦らずに準備していきたいという気持ちがありました。
そのため会社へはわがままを言い最終出社日を少し早めさせてもらいました。
出発まで残すところ約一か月となった時点で最終出社日とし、残りの日数はすべて有給休暇消化とさせて頂きました。
会社を辞めたことを人に伝えると
「ついに!」
「海外なんてすごい!」
「いい決断だと思うよ」とか
はたまた
「これまでのキャリアがもったいない」
「やめたところでどうするの?」
「今の仕事が嫌だから逃げたいだけじゃないの?」とか
いろいろな方のいろいろな反応がありました。
まぁ、そうですよね。
できるだけ頑張って勉強して、良い学校へ入り、良い会社へ入り、良い人を見つけて30歳くらいまでに結婚する。
多様な生き方が認められるようになった昨今の日本社会とはいえ、未だになんとなくこんな流れが正義みたいな風潮ってありますよね。
事実、親戚の家に行ったり久々に友人と会えば
「そろそろいい人とかねぇ、彼氏(彼女)できたの?」とか
「子供は考えてるの?」など、彼氏彼女子供が欲しくてたまらないのにうまくいっていない人には至近距離で槍でもブッ刺されるような言葉を投げかけられるアラサー諸君、40歳過ぎて独身の人にはなんかしらの理由があるんだろうとか勘繰る人もいますしね。
私は28歳になった今、会社を辞めました。
就職活動をしていた大学3年生の当時、リーマンショックのダメージから企業が立ち直りきっておらず、今年の就活も買い手市場だろうと言われていた中で発生してしまった東日本大震災。
どんな大人になりたいかも不明なまま、夏頃までリクルートスーツを着て大変な思いをして、やっとの思いで新卒入社した会社でした。
私が入社したのは某大手物流業のグループ会社。
学生の時は毎日会社に行く自分なんて1ミリも想像できませんでしたが、それでも頭をひねりまくってあれこれ考えた結果、働くのなら物流の仕事がやりたいかもしれない。
そう思って受けた会社に内定を頂きました。
働き始めてからもいろいろなことがありました。
現場で怒鳴られたり、天候に左右されて謝り続けたり…。
もうすぐ4年目というところで経理に異動になったら、今度は慣れない仕事や決算のため残業を重ね、何度計算しても合わない請求書を見返したり…。
そんなこんながありつつも意地で6年弱働いた後の退職。
一旦キャリアを中断し、留学プログラムへ参加するという決断をしました。
一般的に大学を卒業すると初めて社会に出る時点ですでに22歳なんですよね。
浪人や留学している人ならもう24歳くらいでもおかしくありません。
でも高校を卒業してすぐに働いている人なら、同じ22歳でも社会人4年目なんですよね。その年齢ですでに子育てなんかも始めていたりして。
同じ時期に大学を卒業した子が、いつの間にか仕事辞めてお母さんになっていることもあります。
会えばくだらない話をして、いつも横並びでいると思っていた友達がいつの間にか自分よりも何倍も社会的に「大人」になっていることを思い知らされたり。
一方、東京で働いていた私はというと、自宅から会社がやや遠かったこともあり、少なくとも朝6時半に起きて会社へ行き、夜22時とか23時に帰宅したらお風呂に入って寝るだけでもう精一杯でした。
まぁこれは基礎体力がないのと貯金したくて家に居座ったのが原因でもありますが。
都内で何年か働きながら結婚、出産と順調に人生の駒を進める人もいますが、私はそんな器用なことができるタイプではないため、気が付けばもうすぐそこに30代という状況。子供の頃になんとなく思い描いていた大人像とはかけ離れている実情がありました。
もやもやする一方で、会社の規模が比較的小さかったこともあり、年次が上がるにつれ任される仕事や頼られることはどんどん増えていきました。
特に最後の2年間、経理にいた頃は業績や給与に関わる重要な仕事も任せて頂きました。
信用されていたし、恵まれた環境だったと思います。
6年も同じ会社で働けば上司も何度か変わったし、部署異動も経験しました。
特に現場と間接部門の両方で仕事をしていた私は、会社の仕組みやコスト、収益の見通しなど概ね理解できるくらいにはなっていました。
でも働いても働いても、プライベートも仕事もそろそろ落ち着いて…
なんて考えは全く生まれませんでした。
むしろどちらも全くうまくやり切れていない自分に対し、嫌悪感がありました。
それから、経理というやや専門性の高い仕事は、元来数字嫌いで国語や英語で点数を稼ぐタイプの私にとってはとてもパワーのいる仕事でした。
それでも努力のかいあってか、札束を数えるのが異常に早くなり、ノールック電卓叩きもできるようになりました。今ならAIにかっさらわれる技術でしょうが。
数字の勘どころも身についたような気がします。
この人いっつも請求書間違ってんな、とか。
自分で言うのもアレなのですが私、失敗しないので(ドクターⅩかよ)
自分の出す数字や結果には間違いが存在してはいけないんだ、それが自分の売りくらいに思っていました。どんどん肩が凝る一方。
普段くっだらないことばっかり考えているわりに根っこの部分では真面目に物事を捉えてしまうため、無駄にそういうところで気を張ってしまうんですね。
だから周りには「経理向いているよ」と言われていたし、間違えないこと、期待に応えることが自分の仕事くらいに思ってしまっていた部分があったと思います。
でも、会社指示で参加した経理の研修などに参加してみると思い知らされたのですが
そもそも仕事内容にあまり興味を持てていなかったんですよ。
真剣にやっているのに、なぜこの伝票処理が必要なのかよくわからない。
一生懸命考えても、貸借の一致や資産へ振り替えることの意味がよくわからない。
でも仕事だからとにかくやるし結果も出す、社会人としてそれが当たり前なんだとか思いながら。
それから、現場と間接部門の対立ってよくある話だと思うのですが、私の会社も対立まではいかないものの、コストに関わる数字などについてかなり部署ごとに捉え方が異なっていました。
まぁ現場でずっと働いてきた人と、管理系統で仕事してきた人が近い目線で分かりあうというのも難しい話ですが。
「裏方は黙ってろ」とまで強くは言いませんが、バックオフィスには現場の出した結果のみが回ってきたり。
人事や経理、総務などの間接部門って会社にとって必要不可欠な仕事であるにもかかわらず、自力で利益を生み出すことができないからか軽視されることも多いんです。
めちゃくちゃ細かな計算や一発仕事も多いのに、暇してると思われたり。
でも私は現場歴の方が長かったので、自分の権限のなさみたいなものに悶々とすることが多々ありました。
そのわりに、双方の経験があるゆえいろいろな人に頼られる。
板挟みになっているような、都合よい存在になっているのではという気持ちに勝手になり始めながらも、長女体質のせいか面倒見がいいとかしっかりしているとか言ってもらって。
自分の仕事に対してこれっぽちも納得していないのに、です。
そんな状態で働いていることに、謎の申し訳なさみたいなものが芽生えたり。
そうして会社で働いていくうちになんとなく分かったのですが
「私は意外と働くことに対して野心がある人間なのかもしれない」と思ったのです。
こうしたい、こうしたくないという気持ちが非常に強いし、自分より仕事のできないやつに何か言われようものなら力でねじ伏せたくなってしまう(危険思想ですね)
それって誰にでもあることだと思うんですけど、私の場合はそれが言葉や顔に顕著に出てしまう。
でも、経理にそういう人間ってあまり必要ないんですよね。
意見することはあっても自分で仕事を取ってくるわけではないから、あくまでサポート役。
もちろん組織がうまく回るようにうまく立ち回る人も必要なのですが、自分の場合はいまいちしっくりきていなかったのでしょう。
そのため、働いていくうちに
「会社が育てたいと思っている私の方向性」と「自分が思っている私の方向性」が異なってきているような気持ちになりました。
私の仕事って何だろうか。
総合職で入社して、結婚も出産も育児もしていない、まだまだ働き盛りだというのに、こんなに日々もやもやしていていいのだろうか。
仕事以外のこともいろいろと分からなくなってしまった私は、ひとまず原点に返ろうと、頭の中のことを紙に書きだしてみました。
- なぜこの会社に入ったのか
- なぜ6年働き続けたのか
- 元々どうなりたかったのか
- これからどうなりたいのか
もちろんこれらを書き出したところで全てクリアになるわけもないのですが、だんだん自分の中でもう一度自分を押し上げたい!という気持ちがあることに気が付きました。
日本の社会では、30歳前後って特に女性の場合は任される仕事が増えたり社会人としてのステップアップを求められる一方で、家庭や子供を作ることも当然の流れみたいに思われていたりしますよね。
特に出産なんて生物学的見地から言えば年を取るにつれ難しくなることは承知の事実ですから、早いに越したことはないのかもしれません。
でもその時、仕事が盛り上がってきていたら?
私の知っている限り、フルで働きながら出世すると同時に恋愛して20代で子供何人か育てて、ってそんなハイパーな人いないけど。
それ以前に、今の自分は何もかも中途半端なのでは?
おいおいそこまで考えるのかよって思いますか。
意識高い系(笑)って思いますか。
私は考えてしまいます。
自分で自分のことを意識が高いとは思わないし(なんならグズグズ)中には考えなくていいことまで考えてしまっていることも多々あります。
でも、あまりにも考えなしに毎日を生きるのはちょっとつらいんじゃないかとも思うんですよね。
だって、先のことなんて分からないけど、分からないなりにより良い選択をして生きて行きたいじゃないですか。
フェミニズムとかスピリチュアルを語るつもりはさらさらありませんが、だいたいは良いことも悪いことも全部自分に返ってくるんじゃないか。
夜中にベーコン焼いて食べたら太りますよね。
医療の発達した現代では、明日急に死なない限り、望まなくても健康で長生きする可能性大ですし。
ご長寿になったところで多分そんなに年金も貰えないから、今の50代60代の人たちよりも長く働かなければいけないかもしれない。
だから結婚や出産をしたとしても、何らかの形で生涯労働に従事する可能性は高い。
自分が働かなくてもいいくらい彼氏や旦那が稼いでいるならそんなに頑張って働く必要ないのかもしれないけど、なら何のために大学まで行かせてもらい、男に混じって就職活動したのだろう。
極論、お金って何をするにも生きている限り付きまとうものだし、これまで稼いできたお金で生活している・していくことは事実。
なにより、少なくともここまで自分なりに頑張ってきたのだから、いろいろな意味で後悔したくないし報われたいじゃないですか。あと元も取りたいよ。
そう思ったものの一人で考えているだけでは何も変わらないので
まずはキャリア相談的なやつを調べてみよ~
物流だけでなく教育やキャリア云々にも興味出てきてるし~
怪しくなさそうなところに行ってみよ~
と思い始めたのが去年の8月頃。
その時点では会社を辞めようだとか、転職しようとかはそんなに深く考えていませんでした。
別に自分を高く見積もっているつもりもないのですが、真面目に働くことが嫌いなわけではないのに自分の市場価値に最低限の自信も持てない、でも働かなきゃいけない、その状況に自分自身が耐えかねたんだと思います。
そうして頭の中を整理していくうちに、この業界が嫌いになったわけでもない、今の待遇に不満もない、だけど人にアピールできるものもこれといってない。
それならこのまま転職してもなんとなく環境が変わるだけだろうし、待遇が悪くなかっただけに下手したらお給料も下がる=満足度も下がるだろうと思ったので、今すぐ転職という選択肢はなくなりました。
(事実、前の会社では転職組はほとんど退職しませんでした。辞めていくのは新卒入社した子ばかりだったので、いくら待遇がよくても人間は必ずしも合理的な選択をしないのかもしれないと、組織における教育というものに興味が出てきました。)
また有難いことに、以前いた現場の部署から戻ってこないかというようなことも何度かお声かけ頂いたのですが、戻ってどうなりたいのかを何度考えても分からず。
ただ、会社が私のことを育てたいという思いはすごく伝わってくる。
基本的に組織って人間が存在しているだけでコストが発生しますから、ブレブレのゆるゆるで働いているような自分自身がはがゆい。真面目。
自分の将来像がどんどんぼやけていることを思い知らされました。
さらにいろいろと調べたり書き出したりするうちに
大学の時アフリカの研究してたんだよね、なんで国際系の学部に入ったんだっけ?
元々音大って選択肢も考えていたくらい好きだった音楽の勉強ももう一度してみたい、数字の管理も大事だけどもう少し人に働きかける仕事もしてみたい、まだやってみたいことがたくさんある。
もう28歳だけどまだ20代。
例えばもっと英語ができるようになったら、あるいはもっと数字や対人折衝に強くなれたら、違う物の見方ができたら、少なくとも今よりは仕事の幅も広がるし働く自分自身に納得ができるのではないか。
と思い、いろいろと調べたり模索しているうちにIBP留学という選択肢が出てきたというわけです。
社会人にもなって留学(笑)
なんで今さら、学生のときにやっとけよ(笑)
と言われるかもしれませんが、そのプログラムでは社会人であればESL(いわゆるネイティブではない人向けの英語の授業)をすっ飛ばし学部授業を受けられる、かつ3か月以上の長期有給インターンに挑戦できるということだったので、それなら今の自分にしかできない選択であると同時に、現実逃避とも捉えられることはなくむしろ自分の糧になるだろうと思ったのです。
あと一応、一般入試でくっそ勉強して大学に入ったし、入ってからも英語の授業ほかの学部の4倍あったし、英語の勉強は人より経験してきたつもりでした。
なので、もう一度語学学校へ通うというよりは英語を使ってほかのことを勉強したほうが、つらいし大変だろうけど身になるかなと。
協賛企業もたくさんいて歴史もあるプログラムだから資金繰りの心配もなさそうだし。
(営業と経理にいたため会社のヤバさ具合をすぐに数字で計ろうとしてしまうんですね。知名度だけでなく与信管理も大切。)
とりあえず話だけ聞いてなんかヤバそうだったら一目散に逃げよ、という感じで話を聞きに行きました。
(余談ですがこの時、話を聞いてもらったコンサルタントの方が実は友達の弟だったということが後々判明しました。友達の実弟に人生相談していた私。)
他人をなかなか信用しない私は、とりあえずその場では話したいことだけ話し、資料だけパクって帰りました。
そして後日、試しに英語のテストだけでも受けてみますか?と言われてテストを受けてみました。
テストの内容はリスニングとリーディングで、TOEICのようなビジネス系ではなく、確かアカデミック系でした。地球のマントルがなんたらとか書いてある系のそんなやつです(雑な説明)
その場で採点して頂いた結果、あと2問正解していればプログラム参加基準を満たせますと言われたんですね。
悔しいと火が付くタイプの私は、そこから何か月間か働きつつ合間を縫って英語の勉強を始めてみました。
あれ~簿記の勉強は全然できなかったのに私勉強してる~
眠いのに勉強してるってことは私行きたいのかな~
でも今の会社にいれば30代でそこそこのポジションに就けるかもしれないよ?どうする?
まぁ英語やっといて損はないしね~
でもこれ行かないなら睡眠時間削ってまでやらなくてよくない?どうする?
そんなこんなで悩みつつも何度かテストを受けた結果、社会人でしかトライできない枠の参加基準である点数を満たすことができました。
が、石橋を叩いて渡るどころか匂いを嗅いで周囲の安全を確かめるくらい慎重な私は、その時もなかなか決断することができませんでした。
毎日一人で悩み続けました。
費用については、一応頑張って働いてきたので学費を自分で賄い、収入が途絶えても当面なんとかなるくらいの資金はあるだろうと判断。
あとは自分の気持ち次第。
本当に会社を辞めてまで、その選択で良いのか。
言い方悪いけど、今の環境に身を置いていたほうが楽だし経済的にも安心。
でも、やってみたら今よりは自分に納得できるかもしれないし…
ありがたいことに両親もまだ元気だし、幸か不幸か今お付き合いしている人もいない。かといって婚活はやりたくない。
とか言ってると手遅れになるかもしれないけど。
バリキャリにはなれないけど腰掛けで働いてきたつもりもないから、仕事でここまでやったって少しは自分に報いたい。
プログラム自体は1年~2年以内だし、もしこのタイミングで行けたら、30歳手前になってもう一度日本で転職活動したいと思って帰国しても、きっと需要はあるはず。
東京五輪もあるし求人倍率も上がってるし、なんとかなるだろ。
結局、意思決定のタイムリミットギリギリになって、参加してみます。という結論に達しました。
でも参加するって決めたはいいものの、これまでの人生で会社を辞めたことなんかない私は、上司になんて言ったらいいかも分からず。
退職の切り出し方についてめちゃくちゃググりました。
お話ししたいことがあるので、ご都合がつくタイミングでお時間頂けますかと上司に言い、切り出したときには若干声が震えていたように思います(寒かっただけかもしれないけど)
今の会社が嫌になったわけではないこと、将来のことを自分なりに考えた結果こういう選択肢があり、できるか分からないし自信もないけどやってみたいと思っていること、そのためには会社を辞める必要があること。
すべて正直に話しました。
上司は私の話を一通り、黙って聞いてくれました。
そして
「上司という立場から言えば本当に残念でしかない。でも、勇気をもって自分で決めたあなたの意志を尊重したい。」
と言ってくれました。
机も叩かれなかったですし、てめぇ育てた恩を忘れたのか、とも言われませんでした。
その日の会社からの帰り道は、いろいろな思いがこみ上げてきて泣きそうになってしまいました。
現場の人やお客さんに
「お前、こ〇す気か」
「あんたみたいな若い女には分からないでしょうが、こっちはこれに賭けてんの。ナメてんの?」
なんて言われたこともありました。
内定もらったとき、幼馴染が泣いて喜んでくれたなぁ。
お父さんお母さんにやっぱり申し訳ないなぁ。
などなど…
ちなみに両親には「こういうのがあって、行ってみようと思うんだけど」と、半ば事後報告でした。
基本的に愚痴やくだを巻くのが嫌いなのと、最終的には自分ですべてを決めるべしと思っているので、いつも人に相談(報告)する時には9割方物事が固まっている状態ということが多い私。
でも、塾や予備校に行くときも、高い大学の授業料払ってくれたのも、就活するときに交通費援助してくれたのも、なによりここまで育ててくれたのもすべて両親。
もう子供ではないけど、きちんと話をする義務はあると思いました。
だって、やっと経済的に自立したと思った子供が海外で勉強するだなんて言い始めたら、私が親だったら「お ま え は 何 を 言 っ て い る ん だ ?」と思いますよ。
いやむしろ面と向かって言うわ。なんだお前つって。
でも母は「自分の人生だから、必要だと思うことをすればいい」と言ってくれました。
父も同じくこれといって反対もせず、最終出社日には退職祝いをプレゼントしてくれました。応援してくれているのだと思いました。
(父は還暦を目前に控えた大学教授でずっと教育畑の人だったのですが、この度大学を辞めてフリーランスのセラピストになるそうです。そっちの話のほうがよっぽど聞きてーわというご意見を頂いておりますが、それについては了承をもらい次第、いつか書きたいと思っています。)
母のママ友なんかが続々とおばあちゃんになったりしている中、私は孫の顔一つ見せることもできず、結婚も、今の会社での昇進も考えていないどころか自分のことばっかりで、なんだか心苦しい気持ちでいっぱいになりました。
でもそうこう考えているうちに改めて思ったのですが、私は両親に
「勉強しなさい」
「そろそろ結婚は」
「孫の顔が見たい」
なんて、これまで一度も言われたことないんですよね。
私の2人の弟もおそらく、言われたことはないと思います。
両親はいつだって子供たちの主体性を重視してくれていました。
つまり、結局のところは私が勝手に年齢やら周囲の環境に焦ったり囚われているだけなんだなと。
人と比べたり世間一般的にどうだからという話ではなく、自分で自分をどうしていくかということが大事であって、むしろ両親には今までそれを教わってきたはず。
それならばこれからは、年齢や環境をごちゃごちゃ言い訳にせず、もう一度自分の進みたい方向に舵を切ってみようと思い、会社を退職するという決断に至りました。
長くなりましたが、これが私が会社を辞める理由です。
賛否両論あるかとは思いますが、自分が決めたタイミングこそが、なにかを始めるときです。遅いとか早いとかは外野がごちゃごちゃ言うことです。
…ってあれ?
私の嫌いな「好きなことして生きて行く系のブログ」みたいになってない…?
いや違う違う、辞めてもっとつらくて大変な場所にいくんだから。
めちゃくちゃ差別されるかもしれないし、挫折も数えきれないほどするだろうし。
だから、好きなことをしに行くというよりは、先を見据えて自分自身にチャレンジするということで。
それに今回の挑戦を無事に終えることができたら、私はまた会社(組織)で働きたいと思っています。
今はいろいろな働き方があるし仮想通貨やアフィリエイトで見えないものを相手にいわゆる不労所得を得ることも可能ですが、汗水垂らして働くことで得られる対価もあると思います。
個人的な意見だし古い考え方かもしれませんが、苦労した末に得たお金や、お客さんや社内の人に面と向かって感謝されることでもらう報酬はやっぱりありがたいです。
それから、安定した収入やボーナスがあるのも素晴らしいことですよね。
これは完全に会社員の強みです(ブラックは別。)
綺麗事を言うつもりはないけれど、私は本当に会社に感謝しています。
何のスキルもない私のことを育ててくれて、大して恩返しもできなかったのに、たくさんの人が今回の決断を応援してくださいました。
つらいこともたくさんあったし思い通りにならないことも、理不尽なこともあったかもしれないけれど、それ以上に得るものがたくさんありました。
OLなんて自分には無理。
と昔は思っていたけれど、やはり一度社会に出て組織で働くことの意義は大きいです。
学校みたいに慣れ合いでは済まされないし、自分で気が付いて一皮二皮剥けていかないと考える力のない、ただの作業しかできない人間になってしまうから。
何になりたいのか、どうなりたいのかも分からなかったこんな私でも、なんとか6年間勤め上げることはできましたしね。メンタルもだいぶ鍛えられました。
でも会社って潰れるときは潰れますけどね!
さっさと逃げたほうがいい会社も世の中にはいっぱいありますけどね!
おまけに、どちゃくそ仕事のできない人と一緒に働く可能性とかも多分ありますからね!
でも一緒にいて居心地のいい人としか働けないっていうのも問題ですからね!ね!
先のことを考えれば考えるほど不安は大きくなる一方ですが、私は自分なりにこれからまた新たな環境で、やれる限り頑張っていきたいと思います。
というわけで、アメリカに行ってまいります。
しばしの間、家族や友人、そして実家の犬に会えないことがとても寂しいのですが、自分で考えた末の決断だからきっと大丈夫と自分に言い聞かせ、無事にプログラムを終えて帰国する際にはもう一回り大きくなれたらと思います。
おわりー!